をとこもすなる日記というものを・・・・
時々、朝散歩をするのだが、途中で休憩を兼ねて近くの神社に参拝する。
1600年間に建立されたとか、案内板に1000年前にはその神社は海に面していたと、当時の想定地図が記されている。
そう言えば、比島、洞ケ島、葛島など平地の真ん中に島という地名が多くある。
ずっと東に目線を移せば大津という地名が見える。
平安時代(?)に土佐国司として赴任していた、紀貫之が京へ帰るために、出港したところである。
旧紀貫之邸もすぐ近くにある。
旧紀貫之邸跡。ついでに、赤いカブは私の愛車。
今ではかなりの奥地であり、海のかけらも無い。
上の地図の湾になっているところは、ほとんど陸地になって面影も無い。
ここから出港したとされるが、周りは一面の田圃。
なぜこんな奥地まで海だったんでしょうかね。
縄文海進じゃ、時代が古すぎるし・・・
プレートに押されて地盤の方が高くなっているんでしょうか。
1600年頃大高坂に城(後の高知城)を構えていた長宗我部元親は水はけが悪いので浦戸に城を移したとネットが教えてくれました。
その頃には、中心に位置する高知城のあたりは、湿地ではあってもすでに海では無かった、ということになります。
長宗我部元親にかわり土佐に入った山之内一豊が鏡川や国分川などの整備で陸地化を堅固にしていったのでしょう。