呑み友達の和尚さん
私の知り合いに和尚さんが居る。
近所の飲み屋さんでの呑み友達。かなり年下。
久しぶりに会って、”お遍路に行ってきましたよ”というと
フムフムと、聞いてくれるので
(私)かくかくしかじか・・(和尚)そもさん、せっぱ・・
とは言わなかったが、バスの下りやお経も読めなかった話をした。
和尚さんからは、2つだけ。
数珠は持って行くこと、できれば煩悩の数108個の珠のもの。そして、短いのでせめて般若心経は唱えてほしい。
まだ3番までだから、一からやり直し!
ということになった。
数珠は以前から輪王寺で頂いたものがあるので、それにすることにして、あとは教本だけと思っていたが、ろうそく、線香、納め札・・・など揃えて、
いざ出発。
近くの神社で、旅の安全をお願いして・・・あれ、輪抜け様の輪がまだ残ってる。
もう少ししたら、ラジオ体操の時間だ。
パラパラと走って、いつもの吉野家でいつものやつを朝ご飯。
いまはスタンプを押してくれて、お椀だのお箸だのくれる。ウチにもお箸や湯飲みがたくさんある。
腹ごしらえができたら、前回と同じコースで
根曳峠まで来た。
ここから、旅の出発だから、旅の安全は神様に頼るだけじゃ無く自分でもやらなくちゃ行けないから、ここで肘当て膝当てをする。
本当は胸当てもあり、一番大事なのだが、さすがに嵩張るのと暑いのとで勘弁して貰ってる。
俳優の萩原流行さんがハーレーダビットソンの883(通称パパサン)スポーツスターに乗っているとき、警察車両に接触され転倒したところを胸を後続車両に轢かれて亡くなった(少なくとも奥さんはそう訴えて居る)
もし胸当てがあれば死は避けられたかも。
バイクは圧倒的に膝や肘のけがが多いが死亡事故の原因は胸部だそうだ。
山紫陽花
気を取り直して、32号線をひたすら東へ。
しばらくは穴内川と併走して走る。
暫く走っていると「板木野洞門」に至る。
この洞門の上のほうの斜面にはちょっとした小屋くらいの大きさの浮き石があるらしい。
その石(大岩)が落ちてくると道路どころか対岸にあった鉄道まで吹き飛ばされる。
ということで、対岸にあった線路は少し手前で左岸側にトンネルを掘り移設してしまった。今はその線路跡が見える。
JRは良いよな、JRは。
道路は岩が落ちてきたらぺちゃんこになる。
どこかで洞門が押しつぶされて車が閉じ込められた事故があったけど、あんなになる。
通るときは、クワバラクワバラと言って通ろう。
この洞門のあたりはもうかなり標高も高いため7月だというのにまだ紫陽花が咲いている。
それも山紫陽花。
”紫陽花はシーボルトが・・・”下手な豆知識は止めておこう。
ヨーダイ(土佐弁)を言ってるうちに大豊に近づく。
ひばり歌碑
大豊の手前には、樹齢3000年と言われる大杉があり地名にもなってるが、その
大杉のすぐ前に”ひばりの歌碑”がある。
昔ひばりが巡業中にバスが転落し、九死に一生をえたそう。
歌碑の前には3つの石畳があり、それを踏むと”川の流れのように”、”龍馬残影”、もうひとつなんだったかが流れるようになっていたが、いつの間にかそれは壊れたのか、今はボタンを押すようになっている。
おさらいに続き
今回はなかなか徳島へ着かないが、やっと1番霊山寺へ
ここから三番までは前回の復習、というよりやり直し、新たな気持ちで。
4番札所大日寺の山門。
駐車場にバイクを駐めて、ズタ袋の用意をしていると車で来た人が、”バイクですか~、大変ですね”。
”ハイ!”と言って少し得意になる。わけもなく。
4番札所大日寺本堂。
本堂はそこそこ階段を上がったところにある。
本堂のあと、太師堂から山道を迂回して山門へ戻る。
5番札所に着いたときはお昼を少し過ぎていた。
朝ご飯は6時半前に食べているからお腹がすいて、山門の手前に○○庵というそば屋さんの案内が目について、山門をくぐるときは、”ソバ、ソバ”と思いながら。
本堂の前に来たとき、若い二人連れのお遍路さん。なにやら深刻そうに話し込んでいるので、少し後ろでブラブラ。
二人は経木売り場で経木を買って経木に水をかけていた。
さて、私の番。
お参りを済ませて先ほどのところで立ち止まった。
経木に流した水は水琴窟に流れて反響していい音ががするのだそう。
経木には、ご先祖様と水子の供養がされていた。
悲しいことも仏様がながしてくれるのだろう。
5番を辞して・・・ソバ
南へまっすぐ吉野川を越えてすぐと書かれていたので、ひたすら南へ。
もう一時近いというのに大変な混みようで、暫く並んでようやく”ザル!テンプラ!”
ソバは白くて、正直こんなに並ぶほど美味しいかな、と思ったが、最後にそば湯を飲んで、あ!うまいな、と思ったから、この舌はたいして当てにならないな。
四国三郎
6番札所はまた少し戻ることになる。
そのときにはまた吉野川を渡る。
最近雨が多かったせいか吉野川は水量が多く、まさに
よ! 四国三郎
お腹も満たされ6番札所へ向かうが、途中でチラッと”吉野川温泉”という看板が目に入る。
温泉!
安楽寺の山門をくぐる時は、心の中は”温泉、温泉”
一風変わった山門で、門柱の文字の書体も変わっている。
フォントなどというと怒られそうだから、書体と。
山門をくぐると左手にかなり大きな弁天様が・・・
お寺さんの中に天満宮があったり、弁天様がいたり、色々なんだな・・
本堂では団体がグルッと本堂入り口を取り囲んでお経を唱えている。
先達さんの声に続いて全員で、暫く聞いているとさっぱり意味は分からないものの般若心経に入ったのはかなり後になってから(そこだけ少し判明するので)。
本式にはあのくらいの長さになるんだな、と私は般若心経のみで、温泉へ・・・
どうも煩悩が109くらいあるかもしれない。
帰路
すこし戻り加減に吉野川温泉へ。
入浴料が400円のごく普通の銭湯の現在バージョンと云った形。
あせにまみれた服を脱いで、ドップーン。
ウーン!極楽!、極楽! ンン極楽寺は・・・2番か、なんて罰当たりな。
今度からお遍路と温泉はセットにして行こう。
そうすれば、更に行く楽しみも増えてくる。
帰りはひたすら195号線と32号線を高知へ
大歩危まで戻ってくると”中間”という休憩所がある。
高速ができる前は頻繁に32号線を仕事で通った。
”中間”まで帰ってくると、だれが、何処と何処の中間と言ったのか知らないが、まさに中間まで戻ったと思わせてくれる場所。
ここが高知県と徳島の県境。
昔で言えば国と国との境。
そこには昔”国境”という名のあまりぱっとしないモーテルがあった。
モーテルはぱっとしないが、その命名に”座布団1枚”
不思議にこのモーテルを見て、よし!高知に帰ってきた、という気持ちになる、先ほどの中間と一緒に、仕事帰りの一里塚になっていた。
豊永まで戻ると道路案内の看板がある。
左へ行くと439号線。悪名高い酷道439号、誰が呼んだかヨサク
一見不思議に見えるが左へ行くと徳島へと繋がる。
いつかこの道で行くことになりそう。
と思いながら、我が家へ到着。お疲れ様。